「フェミニスト」とか「フェミニズム」とか「フェミ」とか,とにかくなんでもいいのだけれども,なんとなく自分の中で,そういうふうに評されることについて抵抗があるんだ,という話。
そして,「結婚の条件」という記事を書いてからやたらとアクセス数が上がったので,弁護士に聞きたいことを調べているというより私の考えていることでも書いた方がおもしろおかしいのではないかと思ったので書いてみようと思った,という次第。
男女の定年制度の差別があった時代。
女性は30歳定年制度だった時だったら,じつは(もなにもわかるだろうけど),わたしはもう仕事をしていない。
あー。弁護士はまぁいいのかな。自営業だし。
でも,とにかくいわゆるオフィスレディとしては今のわたしでは働けないということだ。
そのことには違和感(というか働かせろよという切実な問題でもあるのかもしれない)があるけれど,個人的には「奥さん」と呼ばれることに抵抗があるわけではない。
なんというか,「奥さん」という単語はクリスチャン以外の人がクリスマスに浮かれた気持ちになるとかツリーのてっぺんに星を飾るとか,そういうレベルのことに感じる。
一方で,オフィシャルな場では「夫」は戸籍法上の表現だから使うけれど,なんとなく人の呼称としてはふさわしくない感じがするので,
人と話をする時にはは●●君,という夫の名前を使うことが多い気がする。
とはいえ,じゃあこのブログでは,人の夫のことも書くこともあろうと思うので,そうなると「夫」という文字がゲシュタルト崩壊するか,あるいは違う人のことを指しているのに誤解を受けかねないと考えるに至って,
結局外貌がくまのような(人だと,わたしが思っている)のでなんとなくくま氏と呼んでいるというそういう次第。
友人とLINEする時には「夫氏」か本名で通じているのでいいことにしている。
ところで,先日「結婚の条件」という記事を書いたときにご紹介したネジ子さんという方のブログ。
私はネトスト的に読み返していたのですが,結婚式の準備のためのゼクシィを買った時の記事が面白かったので,またもリンクを貼ってみる。
カリントボンボン「■」(結婚パーティー的なことをしようかな、と思ったので)ゼクシィ買うのにそこまで抵抗はなかったものの,読んで思ったのは
「あー商業誌だったね」
ということで。
ゼクシィ先生によれば,4号買っていろいろ学べと書いているので,とりあえず1号は自分一人で読み,次にくま氏と2号目を読み…したところで,二人ともそういう結論に至ったので,たぶん商業誌ということで間違いないのだろうと思う。
それでも3号は買いました。必要性に駆られて。
結婚式のうちあわせをするのに,「自分好みの式場の飾りつけなんかがあったら切り抜いて貼ってください!」という宿題を与えられ,自分好みが何なのかほとんど分析していなくて困ったので,3冊くらいあればどこかに自分好みのものくらいあるだろうと思って買いました。
結果として,やっぱり自分好みのモノというのがあったので,あー少しのことにも先達はあらまほしきことかなとか思いながらうちあわせをしたくらいにして。
4号目は買わなかった。これから買う予定も特になし。
…と書いたところで,結婚する何年も前に,付録でついていたハンコケースがあんまりかわいかったのでそのケース欲しさに買ったことがある(激白)ので,
その時のも合わせて人生で4冊買ったということで許してほしい(誰に許してもらってるのかはよくわからない)。
そのハンコケースはこのあいだくま氏に破壊された。儚いものである。
このゼクシィ先生を読んで,結婚式場というのは,いろんな式場を巡って,条件や自分たちの「夢」をかなえてくれるところに決めるのが普通なのだ的なことが書いてあって,おろろ,となったりもしたけど,
まぁ商業誌だという結論が出れば,まぁ,世の中一般的に結婚式に参列した人が喜ぶものとか楽しむものとかがどういうものなのかとか,予算でぼったくられてないのかとか,そういうところを知るためのツールとしてはすごく便利だった。
なので,これから結婚式する人はちょうど良いタイミングの時に1冊くらい買ってニヤニヤしたらいいと思う。
毎号ちょっとずつ内容は違うけど,商業的なところはほとんど同じだし,毎号付録が違うからちょうど好きそうな付録の時に買うのでいいと思うけども。
と。そんなことを言えるくらいには,ゼクシィ先生は参考にしたし,結婚式の準備で一番テンション上がったのは衣装合わせだったしで,きちんとしたフェミニスト(というものがあるのかは知らないけど)の人たちに比べたらきっとフェミ度低いのですわたし。
先日の記事で書いたように,デートとかで浮かれるタイプだし。
とはいえ,結婚をするということによって発生する戸籍上の問題について,非常にくま氏とももめた(というかわたしがひとりで悩んだ)。
結婚によって失われるいわゆる「旧姓」の問題は,弁護士であっても逃げられるものではなく。
具体的に言えば,おそらく女性弁護士の9割以上は,婚姻したことによって戸籍上は夫の氏を名乗り,一方でこれまでの弁護士としての名前を使い続けるメリットや名誉などのため,旧姓を職務上の氏名として使い続ける手続きを執ってるはず。
わたしが職務上氏名を名乗るのかどうか,その前提として,法律婚をした時の氏をくま氏に合わせるのか,法律婚をするのか,そういうところにまで。
とはいえ,くま氏のプライドはそんなところにはなく。
結果として円満な結論。
どう結論を出したかというのはまた別のお話。
そんな頃,某所で友人が,フェミニスト内での分断の話に触れており。
性的な魅力を利用することについて,女性が批判的になることにより,フェミニストによる分断が発生するのだという話。
確かに,と思いつつ,逆に自分が,女性が女性であることを利用することには違和感がないことに気が付いた。
「女性であることを利用する」というのは,何か法令に触れるやり方で利益を得ようとしているのではない。
自分が「女性だから」と扱われることについて,ありがたくちょうだいしているし,また,時には利用もしているかもしれない。
そんなだから,最初の言葉に戻る。
自分がフェミニストと呼ばれることには違和感がある。
さりとて,保守的な人からは十分にフェミだと言われる。
勉強も自己分析もまだまだ足りないようだ。