裁判員裁判の件3
write by 皆川 洋美
裁判員裁判の公判期日,弁論までを終え,あとは3月11日の判決を待つだけという状態になりました。
今回の事件に関する主張は,法廷で述べた通りで,それ以上でもそれ以下でもありません。
ご本人の意向と沿わない主張や尋問はひとつもしていません。
また,被告人の最終陳述の最後に言ってくれたことについては,少し,報われたかな,という思いでいます。
本人の意向に沿うことしかしない,ということで,刑事弁護人の言動に対する「感想」として,「鉄砲玉じゃないんだから」といったコメントをいただくことがあります。
しかし,刑事弁護は,私の刑事弁護の師曰く,「世界中の誰もが当該被疑者被告人の敵になったとしても,弁護人だけはその人の話を信じて味方でいなければならない,それが刑事弁護人の刑事弁護人たる核心である。」
もしかしたら「なんちゃって否認」の人も世界中にはいるかもしれません。
「だってオレ手袋してたんだからオレの指紋出てくるわけないよ」
というまるで落語のような話も聞いたことがあります。
しかし,本当に,万が一えん罪被害者がいた時,その人が身柄拘束され,接見禁止がついたとき。
その人のために活動できるのは弁護士だけです。
もし,有罪判決が出てしまったら,再審の壁がとてつもなく分厚いものであることは,今回の札幌地裁でのおとり捜査を理由とする再審開始決定にどれだけの時間がかかったかということを見れば,火を見るより明らかです。
弁護人は,被疑者被告人が主張することを事実であると信じることがその職務倫理上当然であり,その存在意義です。
もちろん,接見室の中で,被疑者被告人との議論は徹底的に行います。
おそらく,「味方」ではありつつも,誰よりも厳しい評価を当該被疑者被告人に対してぶつける存在だと思います。
それでも,被疑者被告人が主張することについて,弁護人が外部に対して歪曲することは弁護士としての倫理上許されず,そしてその存在意義を失わせるものです。
ですので,刑事弁護人に対して,「鉄砲玉」だとかいう話をされるのは「感想」であって,「批評」ではないと考えています。
光市の事件で,弁護人が主張を途中で大いに変遷させたことについて,批判的評価を受けたことがありました。
しかし,弁護人は,被疑者被告人の主張を実現させなければならないのです。
私には,くだんの件の弁護人と被告人がどのような会話をしたのか,ということは全く分かりません。
ただ言えることは,弁護人は,被告人の意向に沿う行動をしたというだけのことです。
そのことに対して,批判することは的外れだと思います。
話は戻ります。
刑事弁護人という制度についての理解はまだまだ浅いと言わざるを得ません。
しかし,刑事弁護人は,当該被疑者被告人に誰よりも寄り添い続ける,ということだけは,これからも続くし,続けて行かなければならない制度だと考えています。